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ブライダルプロデューサー 藤田徳子の幸せ会議(BRIDAL PRODUCER NORIKO'S NOTE)

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記聞(気分) 「三丁目の夕日」的 日本

私は、子供の頃育った下町の商店街が忘れられません。


ランドセル背負って帰宅していると、「お~い!のんちゃん、好きな子できたんか~?」と近所のおっちゃんに声かけられます。恥ずかしいので下向くと「何か落ちとんか?」と追い討ちかけられます。


近所のお好み焼き屋のおっちゃんとおばちゃんが夫婦喧嘩すると必ずうちのおじいちゃんのところにやってきます。おっちゃんが先に来る事もあれば、おばちゃんが先に泣きながら駆け込んで来る事もありました。


寿司屋の娘が良い所にお嫁に行くことになったからと、うちのおじいちゃんのところに相談に来たこともあります。「お嫁に行くのに何で困っているんだろう?」と子どものころ分かりませんでしたが、今となると「嫁入り支度金」を借りに来たのだと思います。


うちのおじいちゃんは、ご近所さんのよろず相談屋だったようです。


私は大人たちが"一生懸命"働く姿を見てきました。生きる姿を見てきました。「あんな大人になりたいな~」って思っていました。


一方で、「私の家は、映画館です」と発言するのは、とても恥ずかく感じていました。祖父や父は、ご近所の人たちのようには働いていないように思えていたのです。


祖父や父さんの口癖は「日常の中の非日常が、映画館。他人が遊ぶときが打ちの仕事。人が楽しいと思うのがうちの仕事。」と。


やくざ映画を見た背広族のサラリーマンのお客さんが、映画を見終わると蟹股になって帰っていきます。スーパーマンを見た子どもたちは、手を広げて帰っていきます。


「日常の中の非日常」ってこういうことだと気づき始めたのは高校生の頃。


・・・取り留めないけど、こういう世の中にならないかな~?


「ALWAYS 三丁目の夕日」もはや戦後ではないという時代背景ですが、「もはや震災後ではない」という時代に、こういう世の中になってほしいし、したいね☆



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